
「あんな事できたらいいなぁ…」と、様々な場面で憧れを抱いてきた。
みなさんはどうですか?
「一流シェフのように美味しい料理を作れたら…」
「プロピアニストのようにピアノが弾けたら…」
「〇〇さんみたいにお金持ちだったら…」
「誰々のようにアレを発明できるくらい頭が良かったら…」
「誰もが一目置くような容姿になってみたい…」などなど、
強い憧れを持ったことはありませんか?
劣等感を感じてしまうほどの強い憧れって、
尊敬の意を上手に表せなかったりもします。
羨ましいという気持ちを超え、妬みや僻みに変わってしまって…
でもやはり、根底にあるのは「すごい」という尊敬の意。
だったら、小難しいこと考えず、変に身の丈を超えようとせず、
純粋にとことん憧れたっていいじゃない!
だって凄い!って思っちゃうんだもん!!
できないかも知れないけど、
やるって決めたんだから挑戦したっていいじゃない!
だって、できたらいいな!って思っちゃうんだもん!!
「結果」は仮定を通って初めて見えてくるもの。
映画を撮りたいと思ったとき、
・社会人だし時間がないから無理
・安月給だし制作費なんて出せないから無理
・そもそもそんな才能ないし
という仮定を通ったならば、
「何も始まらなかった」という結果だけが残っていたに違いない。
でも、「挑戦してみよう!」という気持ちになってからは、
不慣れな会議をしたり、そこで多くの改善点や修正点を話し合ったり、
スタッフ間でそれぞれの得意分野を理解し合ったり、
共通の想いを確認し合ったり…と、
「何も始まらなかったら絶対に深まらなかった絆」をすごく感じている。
だからこそ声を大にして言いたい。
好きなら迷わず進んでいいんじゃないかな。
できなかったとしても「やってみる仮定がなければ分からない」し、
「挑戦する!」という行動に至るまでの時間は
絶対的に有意義なはずだし、何よりも
「決断する前の自分より格段に強い自分」がいるんじゃないかな?
だから自信を持って進んでいけるんじゃないかな?
好きなものになら言い訳せず向き合える。
不安とか恐怖を超えて行って、「結果」が待ってる気がする。
信念を持った行動なら後悔は残らないはず!
…と、信じているのです。
なんて格好つけてみるものの…
自分の力がどこまで通用するかわからないから、
「とりあえず死にもの狂いで頑張ってみようじゃないか!」って
再確認した夜を過ごしましたのでここに記します!
この日は、10年前にした約束を守った、粋な男性に心を打たれました。
いくぜ、weeklyeveryday!!!!!
わたる